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10/11 北海道150年特別功労賞贈呈式を開催しました!

道では、本道の経済、社会、文化等の発展に貢献した個人のうち、北海道150年事業の基本理念に沿う分野における取組の功労が顕著な方に対し「北海道150年特別功労賞」を贈呈しました。

●北海道150年特別功労賞贈呈式
・日時:平成30年10月11日(木)16時~17時15分
・場所:ホテルモントレエーデルホフ札幌 13階「ベルヴェデーレ」
・参列者:126名
・受賞者:下記の5名

□加藤 忠(かとう ただし)様(公益社団法人北海道アイヌ協会理事長)
[御功績:アイヌ民族への理解促進・文化振興への貢献]

□橋 浪蔵(はし なみぞう)様(社会福祉法人緑星の里名誉会長理事)
[御功績:ノーマライゼーションの推進への貢献]
※代理:社会福祉法人緑青の里理事長 尾野 様

□西山 富義(にしやま とみよし)様(北海道製麺協同組合相談役)
[御功績:食産業振興への貢献]

□小川原 格(おがわら ただし)様(一般社団法人小樽観光協会相談役)
[御功績:観光地づくりへの貢献]

□紫竹 昭葉(しちく あきよ)様(有限会社紫竹ガーデン遊華代表取締役社長)
[御功績:国内外への魅力発信への貢献]

 

【次第】

一 開式
一 国歌斉唱
一 知事式辞
一 選考の経過
一 北海道150年特別功労賞贈呈
一 お祝いのことば
一 たたえることば
一 受賞者あいさつ
一 閉式

【内容】

○知事式辞

本年、北海道は、命名150年という大きな節目の年を迎え、ここに、多くの皆様方のご臨席をいただき、北海道150年特別功労賞贈呈式を挙行できますことを誠に喜ばしく思います。
道では、北海道150年事業の基本理念に掲げる共生社会の形成、誇るべき価値の創造、交流の拡大の3つの分野で、長年にわたり多大なご尽力をいただいた方々に感謝をし、そのご功績を顕彰するため、北海道150年特別功労賞をお贈りすることといたしました。
本日、北海道150年特別功労賞をお贈りする方々は、北海道アイヌ協会理事長をはじめ多くの役職を通じて民族共生象徴空間の整備をはじめアイヌ民族への理解促進や文化振興に貢献をされた加藤忠様、社会福祉法人の理事長として地域での生活を目指す障がい者施設の取組を先駆的に実践され、ノーマライゼーションの推進に貢献された橋浪蔵様、西山ラーメンのブランド確立に大きく寄与され、道産小麦を原料とする麺の利用拡大に努められるなど、本道食産業の振興に貢献された西山富義様、運河をはじめ小樽市の歴史的景観を北海道を代表する観光資源にまで育まれるなど、地域の方々とともにまちづくりに貢献された小川原格様、有機・無農薬の庭園の開園という夢を実現され、花観光の礎を築き本道の魅力発信に貢献されるとともに、現在に至る広域的な取組へと発展させた紫竹昭葉様でございます。
5名の皆様方に対し、道民を代表して、ここに深く敬意を表するとともに、心から感謝を申し上げます。
また、長年にわたりその取組を支えてこられたご家族や多くの関係の皆様方に心からお祝いを申し上げます。
私たちのふるさと北海道は、多くの先人たちの不断の努力や向上心、さらに果敢な挑戦によって築かれ、地域や産業の発展を支えてこられた方々の知恵と工夫により、これまで幾多の試練を乗り越えながら、個性あふれる北の大地へと発展してまいりました。
私たちは、本道独自の歴史や文化を50年、100年先の世代に引き継ぐとともに、お互いを尊重し支え合う、活力に満ちた多様性のある社会の実現に向け、確かな歩みを進めていかなければなりません。
本道では、先月6日に発生した、かつて経験したことのない最大震度7を記録する胆振東部地震とその後の道内全域での停電により、道民の皆様の暮らしや経済社会活動に甚大な影響が生じており、そうした状況からの復旧、復興、そして、持続的な発展に向けた取組が今、求められております。
道といたしましても、皆様方をはじめ、多くの方々が積み重ねてこられたご功績とその成果を糧としながら、未来に輝く北海道づくりに向けて、道民の皆様方と手を携え、全力を尽くすことをお誓い申し上げます。
結びに、受賞者の皆様方におかれましては、今後とも変わらぬご指導を賜りますようお願いを申し上げますとともに、益々のご健勝とご多幸を心から祈念を申し上げ、式辞とさせていただきます。

 

○選考の経過(北海道副知事 窪田毅)

本日、長年にわたりまして北海道の発展に多大なご功績を挙げてこられた、加藤忠様、橋浪蔵様、西山富義様、小川原格様、紫竹昭葉様の5名の方々が、北海道150年特別功労賞の栄誉に輝かれますことを、心からお祝いを申し上げる次第でございます。特別功労賞の贈呈に当たりまして、選考経過等についてのご報告をさせていただきたいと存じます。
選考に当たりましては、道民の皆様方が、そのご功績を讃え、感謝申し上げることのできる方々を選考することを基本といたしまして、外部有識者の方々のご意見を踏まえ、慎重に審議を進め、5名の方々を、全会一致をもって選考をさせていただいたところでございます。なお、選考委員会におきましては、私を含め、部長級職員8名で当たらせていただきました。
はじめに、加藤忠様は、長年、アイヌの方々の生活向上等に取り組まれてきたほか、国の「アイヌ政策推進会議」等に参画をされ、「民族共生象徴空間」の2020年開設に向けご尽力をされ、アイヌの方々に対する総合的な政策を推進するための新たな法律の制定に向けた取組など、アイヌ民族への理解促進及び文化の振興に大きくご貢献をされておられます。
次に、橋浪蔵様は、障がい者の入所施設の地域との交流を他に先駆けて実践されたほか、生活寮や通勤寮などの設置運営を通じて、障がいのある方々の生活と就労両面の確保に努めるとともに、国や道に対して積極的な政策提案を重ね、グループホームなど在宅事業等の展開にご尽力をされ、ノーマライゼーションの推進に大きくご貢献をされてこられました。
次に、西山富義様は、本州、海外への製品出荷などにより「札幌ラーメン」ブランドを確立し、人材育成など業界の発展に努められましたほか、北海道製麺協同組合の役員として、農業団体とも連携して道産小麦の振興にご尽力をされ、また、長年、小学生に対する食に関する学習支援や、多くの工場見学者の受入れを行うなど、食の振興に大きくご貢献をされておられます。
次に、小川原格様は、蕎麦店経営のかたわら、小樽運河の保存の意義を広く訴え、運河を観光資源として活用するまちづくりにご尽力をされますとともに、北海道を代表する冬のイベント「小樽雪あかりの路」等を企画・実施されましたほか、後志管内の広域的な観光振興にもご尽力をされ、地域の特性を活かした観光地づくりに大きくご貢献をされておられます。
最後に、紫竹昭葉様は、「紫竹ガーデン遊華」を開園され、庭園づくりの楽しさや素晴らしさを広く伝えるとともに、「ガーデンアイランド北海道」の設立にご尽力をされたほか、ガーデン事業を広域的なネットワークで展開する取組を牽引するなど、国内外への北海道の魅力発信に大きくご貢献をされておられます。
以上、受賞者の皆様方のご功績は、いずれも北海道命名150年の節目に表彰するのにふさわしいものであると考えているところでございます。改めまして、長年にわたるご労苦に対しまして、深く敬意を表し、感謝を申し上げますとともに、これからもご健勝で、北海道の発展のためにご尽力を賜りますようお願い申し上げ、北海道150年特別功労賞受賞者の方々の選考経過のご報告とさせていただきます。
本日は誠におめでとうございました。

 

○お祝いのことば(北海道議会議長 大谷亨)

本日ここに、北海道150年特別功労賞贈呈式が挙行されるに当たり、北海道議会を代表いたしまして、一言お祝いを申し上げます。
ただ今、北海道150年特別功労賞を受賞されました、加藤忠様、橋浪蔵様、西山富義様、小川原格様、紫竹昭葉様、本日は誠におめでとうございます。長年にわたり、それぞれの立場から皆様を支え、励ましてこられた、ご家族や関係者の皆様に対しましても、心からお慶びを申し上げます。
今日の北海道は、アイヌの人たちをはじめとする先人たちが様々な困難に直面する度に、勇気と希望をもって立ち上がり、これを克服して築かれてきました。
今、本道は、急速に進行する人口減少への対応や公共交通ネットワークの整備、一次産業の振興など、多くの課題が山積しております。また、先月6日未明に発生した胆振東部地震では、地震による建物被害及び全道全域停電、それに伴う風評被害など、道民の皆様の生活や経済、観光に、多大な影響が出ております。こうした課題に対応するた めには、道民一人ひとりが、本道ならではの独自の発展、成長を遂げていくという気概を持ち、こうした課題に立ち向かうことが重要であります。
私たちのふるさとは、本年、「北海道」と命名されてから150年を迎えました。この節目を契機に、私たちは、先人から受け継いだ貴重な財産を次の世代に継承するとともに、新たな一歩を踏み出していかなければなりません。
私ども北海道議会といたしましては、時代の変化に対応し新しい発想を取り込み、本道の持続的な発展そして震災からの復旧、復興に向けて、最善の努力を行ってまいりますので、皆様方におかれましても、その優れた識見と豊かな経験のもと、北海道の未来のため、今後ともお力添えを賜りますようお願い申し上げます。
結びとなりますが、本日受賞された皆様並びにご家族の方々、そしてご出席の皆様のご健勝と今後ますますのご活躍を心からお祈りし、お祝いの言葉とさせていただきます。

 

○たたえることば

【加藤忠様を讃えて】北海道大学名誉教授 中村睦男様

イランカラテ。私は、アイヌ民族文化財団の理事長をしているという縁で、加藤忠様のたたえることばを述べる機会を与えられました。大変光栄に思っております。
平成16年から14年以上にわたりアイヌ民族を代表する団体のトップとして活躍されている、加藤忠北海道アイヌ協会理事長が、本日、北海道150年特別功労賞を受賞されましたことは、北海道民の一致した喜びであると確信しております。この特別功労賞の要綱を見ますと、その最初に「共生社会 アイヌ民族への理解促進」という言葉が挙げられておりますが、この表現にぴったり当てはまるのは加藤理事長しか考えられないからであります。
アイヌ民族を理解促進する共生社会への実現の動きは、今日当然のことと考えられておりますが、決して平坦な道を歩んできた訳ではありません。アイヌという名称ひとつ取りましても、加藤理事長が理事長就任当初において、頭を悩ませた問題でありました。北海道ウタリ協会からアイヌ協会への名称の変更を実現したのは、最初に総会に提案してから10年を経た平成21年になってからであります。このことは、それだけアイヌ民族に対する差別と偏見が社会に根強く存在していたことを物語っております。
平成19年に国連総会で先住民族の権利宣言が採択され、国が先住民政策を策定するに当たり、アイヌ民族の意見を聴くことが実際上行われるようになりました。加藤理事長はその卓越した識見と行動力、そして人間力を発揮するのは、アイヌ政策推進会議をはじめとする政府関係の会議や公の場での存在と発言によってであります。先住民族としての誇りが、加藤理事長の基盤になっております。
また、加藤理事長がよく使われる言葉に「未来志向」があります。多民族共生社会の実現を願う多数派国民にとって、少数者の側が未来志向の姿勢を取られることは、問題解決への助け船として大きな意味を持っております。この10年来進められている民族共生象徴空間の設置をはじめ、アイヌを先住民族とする新しい施策の準備が政府のもとで最終段階に差しかかっている今日、アイヌ民族側の要である加藤理事長の受賞は、誠に時宜にかなっており、我が国のアイヌ政策への大きな力となることを述べて、お祝いの言葉の結びといたします。誠におめでとうございました。

 

【橋浪蔵様を讃えて】(司会からご紹介)

橋浪蔵様は、昭和50年代の半ばに、苫小牧市内の美々川福祉会、そして緑星の里という社会福祉法人の理事長に就任され、障がいをもつ方々の生活や就労の支援、社会参加の促進に尽力されてきました。
橋様を知る方々は、「法人のトップでありながら、障がい者に常に寄り添い、その姿はいつも福祉の現場にある」と評されます。
障がい者が入所する施設の運営に関して、橋様が目指したものは、当時、先駆的なものでした。障がいをもつ方の視点で、日常生活での自立や復帰を目標に、市街地で障がい者の小さな集団での共同生活など、取組を地道に重ねて行きます。
そして昭和56年、橋様はカナダでのグループホームの入所者の暮らしぶりやその運営体制を学び、大いに刺激を受けたそうです。
その後、障がい者施策の充実・見直しに一層邁進され、福祉に関わる方々の考えを変えていき、道や国では、グループホーム事業をはじめ、地域での在宅生活を重視した施策の推進が図られることとなりました。
健常者と障がいをもつ方が互いに支え合うノーマライゼーションの理念を掲げ、社会全体の理解へつなぐため、長年、先頭にたって行動・実践されてきた橋様のご功績を心から讃えます。
橋浪蔵様、この度の受賞、誠におめでとうございます。

 

【西山富義様を讃えて】北海道製麺協同組合理事長 佐々木剛様

皆さんこんにちは。北海道製麺協同組合の佐々木でございます。本日、北海道150年特別功労賞贈呈式に表彰されました皆様、大変おめでとうございます。お祝いを申し上げます。
そのお一人であります西山富義様は、現在、私ども北海道製麺協同組合の相談役をお願いをしております。本組合は、本年で設立55年となりました。西山様は、長きにわたり私ども製麺組合の運営にご尽力をいただいております。平成6年に、西山様は私ども組合の理事長に就任されました。その後、全国製麺協同組合連合会、連合会というのは、日本の都道府県の各組合が集まっての連合会なのですが、連合会の副会長、また、地域では、札幌物産協会会長など、数多くの重要な役目を果たされてまいりました。
業界では、先ほどお話がございましたが、札幌ラーメンのブランドを確立し、そして普及に貢献をいただきました。私ども道内の製麺業者にとりましては大きな励みになっております。
今日、西山様の受賞は、私どもこれからの組合、また業界にとりましても、大変名誉なことだと感じております。私自身も地域に貢献できるものづくりに精進しなければならないなと、今更ながら感じた次第でございます。讃える功績は数多くありますが、時間の関係で割愛をさせていただきます。
西山様には、お体ご自愛いただき、ますますお元気で、今後の業界発展のため、また、いろいろな面でご指導いただきますようお願いを申し上げ、今日、受賞されました皆様のますますのご隆盛、ご健勝をご祈念申し上げ、たたえることばのご挨拶といたします。本日は受賞おめでとうございます。

 

【小川原格氏を讃えて】一般社団法人小樽観光協会会長 西條文雪様

ご紹介をいただきました、小樽観光協会会長をしております西條でございます。今日は北海道150年の特別功労賞を受賞された皆様、おめでとうございます。そして、小川原さん、本当におめでとうございます。
私は今、会長をさせていただいておりますが、小川原さんがずっと副会長として一緒に小樽観光に関する活動をやってきた仲間、仲間というか大先輩でございます。小川原さんは今、国交省の「観光カリスマ」という称号も持っておりますし、これまでいろいろと小樽観光に関して活動を活発にされてきた功績っていうのは相当ございます。そのため、ぜひ相談役で残ってほしいというお話をいたしまして、現在、相談役をしていただいております。
小川原さんはやっぱり、何て言うんでしょうか、非常にその場を和ませるっていうのか、非常に存在感のある方でして、今回の受賞は本当に良かったなと、私もご本人もそうだと思いますが、小樽観光協会そして小樽市の皆さんにとっても名誉なことだと心から喜んでいるところでございます。
小川原さんの様々な活動、今もご紹介がございましたが、そういったまちづくりのエネルギーというのはどこからくるんだろうと考えますと、やっぱり、運河保存運動が原点ではないのかと思います。私は東京から小樽に戻ってきたのは昭和56年の冬だったんですが、運河保存運動というのは昭和40年の後半から、確か48年に保存会ができたと思うんですが、最初からずっと、小川原さんは中核的な活動をしておられました。私が帰ってきたときは、もう運河論争も終盤に差しかかったぐらいで、なかなか運河に関しての深い考えというのはなかったんですが、小川原さんは本当に一生懸命に保存活動をされまして、年間800万人という観光客がいらしていただいている今の小樽観光の基礎を築いていただいたと言っても過言ではないと思っているところであります。
小川原さんは、今お蕎麦屋さんをやってますが、蕎麦屋の親父は仮の姿でございまして、まちづくりのカリスマとしてこれからもいろいろとご活躍をいただかなければいけないし、我々の後輩を叱咤激励し尻をたたいていただいて、我々も一緒にこれから小樽のために活動していきたいと思っております。
どうか小川原さん、健康に留意されて、奥様と仲良く、細い体をさらに身を削ってでも小樽のために一緒に頑張っていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。本日は誠におめでとうございました。

 

【紫竹昭葉様を讃えて】株式会社グロッシー代表取締役 北村貴様

紫竹昭葉様、本日は北海道150年特別功労賞の受賞、本当におめでとうございます。
皆様、私、普段は紫竹さんのことを紫竹おばあさまと呼んでおりますので、今日は普段通りの呼び方で呼ばせていただければと思っております。
紫竹おばあさまは、皆様ご存じかもしれませんが、帯広の紫竹ガーデンに、いつ行っても必ずいらっしゃいます。紫竹様は、60歳の時にご主人を亡くされまして、そこから2年泣いて暮らしたと伺っております。その様子を、お隣に座ってらっしゃいます、お嬢様の和葉さんがご覧になりまして「お母さん、お父様は、お母様のことをひまわりのような方だとおっしゃっていましたよ」とおっしゃられたそうです。そこからの紫竹ガーデンの昭葉様のご活躍はめざましく、62歳で創業されまして今日に至ります。
今日は、紫竹おばあさまは珍しくお帽子をかぶっていらっしゃいません。ガーデンに行かれた方はご存じかと思うんですけれども、いつも必ずお帽子をかぶっていらっしゃいます。これにはひとつ理由がございまして、私は今日はここで皆様に暴露話をしてしまいますが、おばあさまは美容院に行く時間を惜しんでお帽子をかぶっていらっしゃるんです。というのも、紫竹ガーデンから帯広市内まで、往復で約1時間かかります。「貴さん、この間に、私に会いに来た人がガーデンに来て、がっかりされたらどうしましょう」っておっしゃるんです。おばあさまはそうやっていつも、いらっしゃるお客様のことを考えて、このようにガーデンを発展させていらっしゃいました。
また、本日、私のような若輩者にこのような機会をいただきました。紫竹様の功績は、多くの後進にこうした大きなチャンスの場を与えてくださるところにもございます。北海道がガーデンアイランドとしてたくさんの花が咲く島になっていきますのも、紫竹さんが私たち後輩の者たちに道を拓いてくださったからに他ならないと思っております。
これからも私ども後進に、たくさんのお花の種と心の豊かさの種を植えていただきまして、この北海道を豊かなお花の国にしていただければと思います。本日は誠におめでとうございました。

 

○受賞者あいさつ

【加藤忠様】

皆さんどうもこんにちは。北海道命名150年の節目の年に特別功労賞をいただき、北海道知事をはじめ多くの先祖、国民、道民に心から感謝を申し上げたいと思います。
縄文からアイヌへと続いた歴史と文化、どんなに辺境、過酷な地に暮らそうが、未開と言われようが、自然界に対する畏怖を持ち、共生の念を持ち、健全な能力を備えていること、過去を知り、今を伝え、未来につなぐ、このことが大切だと私は思っております。
先日、利尻島で学芸員からお伺いしたお話です。約三百何十年前の1600年代に、朝鮮王朝期の朝鮮人88人が漂流しました。このときの日誌が日本に届けられました。海が荒れて12日間漂流し、利尻島に必死の思いでたどり着いたこと、この島の人々は、言葉は通じないがどこへ行っても同じ姿の人で、同じような暮らしぶりだったと。さらに、争いする道具もなく、人を害するような類の人々ではなく、うやうやしい姿に安心したこと、このうえなく親切にしていただき、一年かけて釜山に帰ったという記録が残されていたとのことです。
世界には様々な人種や文化があります。私は、それぞれに優劣はないと思っております。対話を通して理解し認め合う、そこに生まれる英知が平和な社会づくりに繋がると思っております。
北海道はこの先、これからの社会に向けて求められる価値創造への大きな転換点に立っていると私自身は思っております。大志を抱く出発点となる年を迎え、将来に向けた北海道の財産は多様性と寛容性であり、今後より大きく躍進するものと確信しております。
本日は身に余る賞をいただき、心から皆様に感謝して、私の言葉とさせていただきます。ありがとうございました。

 

【橋浪蔵様】(社会福祉法人緑星の里理事長 尾野聖一様よりメッセージ代読)

本日、橋浪蔵さんが、健康上の理由で出席できませんでしたので、ご本人よりメッセージをお預かりしておりますので、代読をさせていただきます。
本日は北海道150年を記念いたしまして、特別功労賞という大変名誉ある賞をいただき、関係各位の皆様や本日ここにご出席いただきました皆様に、心より御礼を申し上げます。
私が運営していた緑星の里は、昭和45年2月、苫小牧市において、多くの地域の皆様のご協力により知的障がいの児童施設を開設以来、これまでに18の障がい者や高齢者の施設を運営するまでになりました。この中で、私が最も印象に残るのが、昭和56年、カナダのグループホーム「ラッシェ」の訪問であります。国際障害者年の昭和56年8月、当時私は緑星の里の理事長であり、道議会議員でもありましたが、訪問団の団長として障がい者5人を含む14人を引率し、カナダ・エドモントンにある「ラッシェ」を訪問いたしました。カナダでは、市街地にある普通の家をグループホームとして利用し、知的障害者とアシスタントが共同で生活しており、国を挙げて就労の機会を与えるシステムが構築されており、日本とのギャップに全員が大変驚いたわけであります。緑星の里においても、制度や公的支援がない中、市街地にグループホームの先駆けとなる無認可の「生活寮」を開設し、職員の家族と障がい者が一緒に暮らす取組をしておりました。この「生活寮」の具体的効果や必要性を道や関係機関に訴え、これにより昭和59年に道が知的障害者自立促進事業を創設し、この制度の開始によりグループホーム設置の動きが全国の自治体にも波及し、国の制度として、知的障がい者が地域社会の中で普通に暮らせるための重要なよりどころとして全国に展開されていきました。
今後も、健常者と障がい者が互いを支え合いながら、地域社会の一員として平等に生きることができる、ノーマライゼーションの理念が拡大していくことを願っております。本日は誠にありがとうございました。

 

【西山富義様】

西山でございます。どうぞよろしくお願いをいたします。
まずはじめに今回の受賞に当たりまして、高橋知事様はじめ関係の皆様に大変お世話になりました。心から感謝を申し上げ、お礼を申し上げます。ありがとうございました。また、一方で、私のような者がこのようなすばらしい賞をいただいていいのかということが頭を駆け巡っております。さらにまた、この年齢で、これからこの業界に貢献しようと思いましてもやれることはほとんどございません。ただ、業界の発展を願う気持ちだけは誰よりも強く持ち続けたいと思っております。
私の受賞の対象につきましては、先ほどご紹介いただいたとおりでございます。その中から、札幌ラーメンの開発の当時の話をひとつさせていただいて、受賞の言葉に代えさせてもらおうと思っております。札幌ラーメンというのは、昭和30年をはさみまして4~5年かけて開発したラーメンでございます。ちょっと分かりにくい話も一つ二つ出てくるかもしれませんがご容赦下さい。麺の特徴は、ちりちり麺です。多加水で製造しました。卵を練り込みました。さらにそうしてつくった麺を2~3日熟成して使います。これが札幌ラーメンの麺の件です。
味付けにつきましては、その頃までは塩味と醤油味しかありませんでした。それに味噌味を追加いたしました。さらに食べる際に、野菜、もやしとかタマネギ、ピーマン、これらを炒めてトッピングをしていただくと。これが札幌ラーメンの姿でございます。このラーメンが美味しいということで、あっという間に全道、全国、先ほども外国でも食べてもらっておりますという話をしていただきました。そのように広範囲に広がったわけでございます。
その中で、札幌ラーメンがなぜちりちりなのかという話にちょっと触れさせてもらいたいと思います。皆さん、噺家の方が、麺を食べる仕草をちょっと思い浮かべていただきたいと思います。どんぶりから箸で麺をつまんで口にはさんだらすぐ、つるつるっと吸い込みます。麺にたくさん美味しいスープが絡んだ状態で食べると美味しいのです。ところが、ラーメンは茹で立てですので、実際には熱くてそんなふうに食べられません。必ずフーと冷ましてから食べるわけですが、冷ましているうちに美味しいスープがどんぶりに戻ってしまいます。そのスープを何とか戻りにくくしようと、ちりちりにしたわけでございます。最初は手でやっておりましたけれども、できる数に限界がありますので、1~2年かけて機械化いたしました。そうしましたらあっという間にこれも全道、全国に広まったわけでございます。
噺家の方が麺を食べる仕草をヒントにして札幌ラーメンのちりちり麺を開発しましたという話をしたかったわけでございます。これで受賞の言葉に代えさせていただきたいと思います。今日はどうもありがとうございました。

 

【小川原格様】

ご紹介をいただきました小樽の小川原でございます。今日は、高橋はるみ北海道知事様にこのような大変重い賞を賜りまして、大変光栄に思っている次第であります。先ほど紹介をいただきました、小樽、後志でやってきた様々な事業は、私一人でやったわけではありません。今日も多くの仲間に来ていただいてますけれども、各地域で本当に地べたで這いずり回って一生懸命やってくれた仲間と一緒にスクラムを組んでここまで来ました。そういう意味では、そういう仲間と一緒にこの賞をいただきました。光栄で、喜びを分かち合いたいなと思っております。
20代の後半に故郷・小樽に帰ってきまして、蕎麦屋の家業を継ぎました。無理矢理、横にいる女性と連れ合いになってしまいまして。それをいいことに、店を連れ合いに任せまして、店から飛び出しまして。町中を走り回り、運河保存運動が終わると、今度は後志20町村に飛び出しました。うちのスタッフからはいつも「まちづくりよりも店づくり」とミーティングで怒られている次第であります。
先ほど、運河保存運動をやっとったとご紹介いただいてます。はい、11年やりました。お国や、北海道庁さんや、小樽市役所さんが進める、6車線の道路を作って札幌とのネットワークを良くして、その頃斜陽のどん底と言われた小樽の経済を復興させようという行政側の計画に対して「ちょっと待て」と。小樽の歴史的な環境、歴史的な建造物、歴史的遺産を生かした観光まちづくりで小樽の展望を拓こうじゃないかというのが、運河保存運動の始まりでした。まあ、そういう意味では、お国や、道庁さんや、市役所さんに異議申し立てをし、逆らってやってきたわけで。それが40年経つと、なんと知事さんから特別功労賞をいただけるということで、何という人生かと思っております。
私達の仲間は大変口の悪い方が多くて、私が今回受賞したということを聞きまして、「他の4人の皆さんは違うけれど、小川原、おまえの特別功労賞は「特別」と「功労賞」の間に「危ない」という字が入っている」「それを自覚しろ」と言って喜んでくれております。この40年来、先ほど小樽観光協会の西條会長さんがお話しされたとおり、蕎麦屋の親父なのかまちづくり親父なのかわかりません。
今月1日で、私もやっと70代の仲間に入らせてもらいました。古稀となります。小樽には「いいふりこき」という、年寄りを大変うまく使う言葉がありまして、そういうときはすぐ乗ります。もうひと花ふた花やりたいなと。今、小樽、後志の仲間とやってきた運動をさらに広げて、空知産炭地の皆さん、それから鉄鋼、室蘭の皆さん、空知総合振興局、胆振総合振興局、そして後志総合振興局、複数の振興局にまたがったシリアルな広域連携で炭鉱、鉄鋼、港湾、略して「炭鉄港(たんてつこう)」といいますけれども、この事業を推し進めて、来年日本遺産に申請しようと企んでおります。今日、ご臨席いただきました皆様にも、ご理解とご支援をいただいて、何とか勝ち取りたいなと思っております。
まあ、こんな危ない蕎麦屋の親父ですので、この辺で、今日本当に光栄な特別功労賞という賞をいただいたお礼の挨拶とさせていただきます。本日はどうもありがとうございました。

 

【紫竹昭葉様】

皆様、紫竹昭葉でございます。先ほどから、たいそうご立派な方々のお話をお聞きしながら、身が縮む思いをいたしております。思いもよらないこんな素晴らしいご褒美を私が頂戴するのはどうかな、ほんとかな、でも頂いたから嬉しくて嬉しくて、感謝でここへ出てまいりました。
私は帯広生まれの帯広育ちでございまして、帯広が大好きな人間でございます。帯広は昔から、小さいときからあちらこちらに点在する野原がございまして、そこには美しい花々が四季折々に咲いておりました。そこで遊ぶのが大好きで、そして帯広が大好きだったと思うんですけれども、だんだんと農民の方の大型機械が発達するに従って、野原は、全滅とは言いませんが、まあほとんど遠くまで行かないと観られないようになりました。
そこで、私は悩みました。私が悩むことではないんでしょうけれども、なぜこんな美しいものがなくなるのを放っておくんだろうと。誰かやってくれないかなと思ったりいたしましたけれども、誰も名乗りを上げてくださいませんでした。それで、私は60歳の時に思い切って農民になって、広い野原を、皆さんに喜んでいただくものをつくろうと決心いたしまして、家族に相談いたしました。みんなあきれた顔をして、「あなたおいくつになったんですか。もうこれから老後を考える心配なのに、何を今から大きなことをやろうと言ってるんですか。反対して当たり前でしょ」って、まあ静かにしててくださいっておっしゃる。それで私は二度三度、「そうじゃないんだって。私の夢だから」って申しましたら、あんまりよく分からないらしかったのか、長女の娘婿が「絶対やりたいというのは本気か」と言いました。「本気に決まってる」って申しました。そして「それは私の唯一の夢だ」と申しました。そしたら、娘婿は賢くて、「そうか、夢は誰にも遮ることはできない」「夢を見るのは一つの才能だ」って言いまして、子どもたちには「お母さんの夢を邪魔するな」と言ってくれました。とたんに娘達も、「そうか、誰にも邪魔することはできないのなら、まあやってみるのもいいのかな」って思ったらしく、OKが出ました。
さあ喜びましたね。だけど、私は何にも知識がございません。知識のある方を探しまして、見つかりましたのは川西農協の組合長さんでございます。この方は私、日頃から尊敬しておりましたので、すぐ行って「私はこんなふうに思って農業者になりたいから、私にできる広い大きな農地を買わせていただきたい。何かいい方法ないでしょうか」って申しましたら、「紫竹さん、本気で農業者になると言ってるのか」っておっしゃった。「もちろんです」って言ったら、「そうか、本気ならこっちも本気で探してあげるよ」って、いろいろ探していただいたんです。
一番最後に見つけていただいたのが、1万8千坪の牧草地でございました。そこにあったのは牧草だけで、白樺が5本、松が1列に、縦横にあっただけのものでございました。それで、私にいろいろと法律の難しい話をしてくださいました。たくさんありまして、1回や2回聞いたってわかりません。だけど、OKが出てここで相談して本気の偉い人にご相談するところまで行ったんだから、よし、やるぞと思って頑張りました。
ちょうど、その話は60歳でございまして30年前でございます。私も立派な年になりまして、91歳になりました。本当に私が資格あるかどうかわからないけれども、自分が唯一この目的を達することのできる偉い人間だと思い込むことにいたしました。従業員も大勢になりました。それから、設計も立派な方にお願いしました。これらの方々はみんな、私に大変協力してくれまして、長い人はもう25年になります。今でも20人がおりますけども。私が賞をいただけるのはその人たちのお陰であって、私がご褒美を頂くのは気が引けるのでございます。
しかし、元気のいいのだけは取り柄でございます。お医者様がこうおっしゃいました。「紫竹さん、体のなかで悪いところはひとつもない」。頭が悪いとは言いませんでしたけども、体だけは立派で「あと20年は大丈夫。頑張りなさい」っておっしゃってくださいました。そこで、「そうか、あと20年で110歳か。なんだもうすぐだ」と思って、嬉しくなって。
そして、このご褒美をいただくこととなって、本当にびっくりしてね。私でよかったのでございますか、知事様。私ね、あの方を尊敬しておりまして、愛しております。ですから、あの方がおっしゃるのならば、ありがたくお受けしてしかるべきかなと思って頑張って来てみましたらば、また偉い人ばっかり揃っております。
先ほどから困っておりました。皆さんはしっかりこうやってお勉強してくるのに、私、言うことが分からなくなっちゃったんです。そうしてね、この子(隈本和葉様)に「私、何かしゃべるんだったよね」と聞きましたら「2~3分だけ。長くしないでね」って言われました。2~3分経ちましたか?大丈夫ですか。はい、ありがとうございました。
これからも私は花の生命力を信じ、自分の考えをまともだと考えて頑張ります。北海道を日本一の観光地にするぞ!と思っております。どうぞ皆様、うちへもお遊びにいらしてくださいませ。心からの感謝を込めて今日はご挨拶させていただきましたが、4名の偉い人の後ですから、しょんぼりでございますよ。でも、拍手をいただいたからよかったと思ってこれで失礼いたします。本日は本当にありがとうございました。

 

○司会:松本裕子アナウンサー

○受賞者への贈呈品

【表彰状及び表彰盾(揮毫 石野華鳳氏)】

【版画作品(制作 藤倉英幸氏)】

○会場の様子